「真面目」と言われてもそんなに嬉しくないけど「不真面目」と言われると数日間気にするのはなぜ?
こんにちは!あみかです。
先に言っておきますが、今回は完全に私の個人的な話です。
「真面目だね」と言われても、あんまり嬉しくない。
でも、「真面目にやって」と言われると数日間なんだか気になります。
「不真面目」という言葉を使って言われることはありませんが、いずれにしても「真面目ではない」と評されると心が不穏になります。
この矛盾に最近気が付きました。
それがなぜだか考えているうちに、自分のことが少しわかった気がします。
不真面目と評されたときの気持ち
上の説明で、「なんだか気になる」「心が不穏になる」とよく分からない表現をしました。
なぜなら、自分でもその気持ちの正体がわからず「なんだか気になる」状態だったからです。
言われたときの気持ちを詳しく思い返しても、なんだかもやもやしたまま数日間過ごしていたというだけで、ハッキリとした気持ちがないのです。
「何よ!?」「むかつく」という反発心、「言われたことこんなに気にしてもしょうがない」と忘れようとする気持ち、それぐらいしか思い出せません。
他にもたくさんの感情が混ざって「もやもや」になったのだろう思いますが、自分でも分からないのです。
それを冷静になったときに紐解いてみました。
「真面目」・「不真面目」と評されたときの気持ち
私は真面目と言われてもそんなに嬉しくない。
それは、「真面目」という言葉にはネガティブなイメージがあるから。
でも、不真面目と言われると数日間気になる。
私は平静を装っているけれど、やっぱり気になる。
平静を装っているというのは、一緒に過ごしている家族や「不真面目」と評した人物に対してではなく、自分に対してもです。
一方では、不真面目と評されたことに対して「別にそこまで気にしていない。今回は〇〇していなかったのが悪かったのだから、次からはやろう」と冷静に頭で分析しているのです。
ですが、それでも数日間気になる。
本当に気にしていなかったら、その頭の中の分析と次回の行動だけで終わるはず。
つまり、私は「不真面目」と評されるのが「嫌」なんだ。
・・・とやっと気づきました。
なぜ「不真面目」と評されたとき平静を装っていたのか
なぜ「嫌」だと感じず、自分に対してまで平静を装っていたのか。
それは、本当は自分は真面目だと思っていたから。
「真面目」が自分のいいところだと思っていたから。
更に言うと、それが唯一の自分の長所だと思っているから。
私は能力が低くて、何をしてもダメで、でも、真面目にやることだけはできる。
「真面目」は私の唯一の長所。
「真面目」が否定されると、私の良いところなんてなくなってしまう。
価値のない人間になってしまう。
それが怖くて、「不真面目」と言われるのが嫌だった。
なぜ自分に対してまで平静を装っていたのか。
それは、「価値のない人間だ」という思いを覆い隠したかったからだ。
なぜ「真面目」と言われてもそんなに嬉しくないのか
「真面目が唯一の長所」だという考えが根底にある。
けれども、「それ以外にも長所はある」と思いたい気持ちもある。
それは、「真面目」にはネガティブなイメージがあり、「真面目」と評されることが多かった私が直に感じているから。
「場合によって悪い評価になることもある『真面目』だけが私の唯一の長所ではない。他にもあるはずだ」
この思いから、「真面目」と良い意味で評価されたときにも素直に受け取れなかったのです。
ちなみに、「真面目」という言葉のネガティブなイメージに関して以前記事にしています。
自分の「真面目」という評価に対する本心を知る前に書いた無邪気な記事です。
「真面目」という言葉には長所という意味だけではなく、悪いイメージもあるのは事実。
そして、私の唯一の長所、そして存在価値である「真面目」を否定されるだけでなく、ネガティブなイメージを持たれるのが我慢できなくてこんな記事を書いたのでしょう。
唯一の存在価値があるのかないのか、他にも存在価値があるのかどうかは分かりませんが、「不真面目と言われるのは嫌だ」という私の本心を受け入れて生きていこうと思います。