【持論】政治家以外に叩いていい人はいない
こんにちは!あみかです。
私は常々思っていることがあります。
それは、(政治家以外に)叩いていい人なんていないということです。
ネット上では叩くという行為やそれに関連する炎上などがよく起きていますが、私は意味がないどころか道徳的にすべきではないと思っています。
今回は「叩く」という行為について深くお話していきます。
叩かれる人とは
まず、叩かれる人にはどんな人が多いでしょうか。
1つは、有名な人であることが多いです。
叩くという行為は叩く人が1人ではありえないわけですから、人の目に触れやすい有名な人がターゲットになりやすいです。
まれにそうでない人でもネット上では拡散によって叩かれていることもありますが、やはり有名な人の方が叩かれやすいことには違いないでしょう。
では、一旦有名な人に限定して、どのような有名人がターゲットになるのか考えてみます。
「有名」にも程度があると思いますが、ここでは「ある界隈でのみ有名な人」は除きます。
すると、政治家、芸能人、犯罪者などが考えられます。
犯罪者は元々有名な人ではなくても、ニュースになるため有名になりますね。
なぜ叩いてはいけないのか
それでは、なぜ叩いてはいけないのでしょうか。
ただの悪口だから
まず、ターゲットや内容に関わらず、叩くという行為はただの悪口です。
小学生でも知っている通り、悪口を言うのは単純に悪いことです。
横を通り過ぎた見知らぬ人に対して「クサッ」と呟くことは、実際にやる/やらないは別として、誰もがいけないことだと思うでしょう。
「そう呟くことによって本人が臭いことを自覚できるから良いことだ」とは思わないはずです。
それは本人の問題で、別のきっかけで気づくこともあるでしょう。
また、見知らぬ喫煙者に対して、たばこの害や周囲への悪影響を力説するでしょうか。
たまにそんな人もいるかもしれませんが、家族ならまだしも、見知らぬ人にまでそんなお節介しないでしょう。
ネットで「叩く」という行為は、それと同じことです。
基本的にあなたは知らない人であり、どれだけ正しいことを言っていても、わざわざ言うことではありません。
叩いても意味がないから
次に、叩いても、意味がないからです。
叩くことによって叩かれた当人を変えることはできません。
人を変えることは難しいですが、それでも変わってほしければ、誠実に意見を主張しましょう。
例えば、企業や公共機関の不祥事に対して。
様々な対応に追われてとても叩かれていることに構っている余裕ないのではないでしょうか。
「炎上」というところまでいけば何らかの対応を迫られますが、そうやって追い詰めた先に優れた対応が待っていることは少ないと思います。
言い訳や言い逃れ、形だけの謝罪が待っていることが多いでしょう。
誠実に対応してもらいたくば、こちらも誠実に要求すべきです。
次に、犯罪者に対して。
犯罪者は、悪いことをした悪い人です。
しかし、その人たちに対しても叩くべきではありません。
被害者が加害者に害を与えようとすることでさえ「復讐」と呼ばれ、それは次なる負の情や出来事を呼ぶだけです。
ましてや見知らぬ人が、何の権利があって叩くのでしょうか。
そして、日本には叩かなくとも、公的に犯罪者が反省し更生するためのシステムができています。
司法が罰を与え、更生プログラムが組まれます。
関係のない人が叩くのは無駄で、意味がありません。
では、政治家は…?
政治家については、唯一絶対に叩いてはいけないとは言えないんじゃないかと思っています。
政治家は、良い意見であっても悪い意見であっても、人の声を聞く必要があるからです。
しかし、「批判する」必要はあっても、「叩く」必要はないとも思いますが。
主張の仕方には注意です。
企業のところでも述べた通り、誠実に対応してほしければ、誠実に意見を述べましょう。
叩いては「いけない」理由
ところで、「叩いても無駄」という主張をしましたが、「叩いても無駄」と「叩いてはいけない」は違います。
叩いてはいけない理由について、もう少し詳しくお話します。
当人を傷つけるから
まず、当たり前ですが叩くと叩かれた当人は傷つきます。
「叩いても無駄」という主張で、叩かれても見ないことや気にしない、気にする余裕がないことが多いと書きました。
ですが、全てのケースに当てはまるわけではないでしょう。
ですから、叩かれた当人が傷つくことがあります。
むしろ、当人を傷つけるためにやっている、悪いことをしてるんだから傷つけることの何が悪いのかと思う人もいるかもしれませんが、私はそれは違うと思います。
悪いことをしているからと言って、人を傷つけていいことにはなりません。
犯罪者を殺してはいけません。
犯罪者をいじめてはいけません。
犯罪者を傷つけてはいけません。
というより、誰であっても、人が人を傷つけてはいけません。
罰は、司法が与えます。
どんなに悪い人に対してでも、人を傷つけたらあなたも悪い人です。
人を傷つけてはいけません。
当たり前のことです。
見ている人を不快にさせるから
叩くという行為は、見ている人を不快にさせます。
人を傷つけているところを見て、良い気分になる人はいません。
これが「叩く」ではなく「意見を主張する」場合は、同じ意見の人で不快に思う人はいないでしょう。
しかし、「叩く」という行為の場合、皆がそうだとは言いませんが、同じ意見の人でも不快に思う場合があります。
そして、自分もそう言いたかった!と賛同する人ももちろんいるでしょうが、「叩く」を「意見を主張する」に少し変えるだけで不快に思う人が減るということは認識して欲しいです。
自分を不快にさせるから
叩くという行為は、当人を傷つけ、周りを不快にさせるだけでなく、自分までも不快にさせます。
叩きたいような出来事を見ただけでも、不快に思うでしょう。
それに対して叩けば、よりそのことが記憶に残り、長い時間不快に思います。
負の感情に支配されます。
自分のためにもいらないことはしない方がいいですよ。
「叩く」のではなく、自分にできる有益なことを
ここまで叩くのは意味がない、むしろいけないことだと主張してきました。
では、叩く代わりにどうしたらいいのでしょうか。
1つの答えには、「スルーする」というのがあります。
自分に直接関係がないのであれば、それに気を悩ませることはありません。
しかし、他に何か有益な行動はないでしょうか。
自分を省みる
1つは、自分を省みることです。
叩いても相手を変化させることは難しいですが、自分は容易に変化させることができます。
叩きたくなるようなことはしていないにしても、それに近いことやそれに繋がること、身近な人がそれをしてしまうきっかけになるようなことをしていないでしょうか。
人を叩く前によく自分についてよく考えましょう。
何かの不祥事について叩く前に、自分は完全に誠実なお仕事ができているのか。
お客様に対して、上司に対して、部下に対して、同僚に対して。
そして、多くの良くない出来事は、何か一つが原因で、誰か一人が原因で起こるわけではありません。
自分が、その原因やきっかけになっていないか、省みてはいかがでしょうか。
その「原因」が悪いことではないにしても、それをなくしたら起こらなかったかもしれないならば、それはなくすに越したことはありません。
実際にあったかどうかは分からない推測される原因であっても、自分がその原因になっていないか省みるというのは社会を良くすることに繋がるように思います。
例えば、虐待によって子供が亡くなるという出来事があったとします。
そんなとき、直接でも、間接的にでも、原因やその原因を引き起こす原因になっていないか、考えることができます。
自分が虐待をしていないか。
子どもに意地悪していないか。
子を持つ親に強く当たっていないか。
あなたが子持ちの親ならば、配偶者に強く当たっていないか。
公共の場で子供が泣いたときに嫌なことを言われた。
職場で不利益な扱いを受けた。
職場でお客様に理不尽なクレームを受けた。
そんな小さなことがストレスの1つとなり、虐待を強めたかもしれないのですから、そういった行動をしていないか省みるのは自分ができる有益なことです。
小さな悪いことが大きな悪いことに繋がります。
人を責める前に、自分を顧みましょう。
何の悪いこともしていないという人はいないと思います。
そして、悪いことの原因となる悪いことをしないだけでなく、それを起こさせないためにあなたができることはたくさんあります。
それは人に親切にすることです。
人は良いことをされたら良い気分になって、良いことをします。
回り回って、悲惨な事件を防ぐこともあるかもしれません。
たとえ何も反省すべき点がなくても、世の中に一層良い循環を生むためにできることはたくさんあります。
適切に意見を主張する
それから、その出来事に対して関心が強くて、自分がアクションしたいとき。
ただ叩くよりも、適切な場で適切に意見を主張しましょう。
最低限、人としての敬意を払うことを頭に置いておきましょう。
主張する場として、SNSなんかではなく、企業であればお客様の意見を募集しているところがあるかもしれません。
公共機関等に対しても、私は詳しくないのですが、投書を送れるところがあるかもしれません。
相手に意見を届けるための適切な場所を探しましょう。
更に、場合によっては、署名を集める、署名をするなどの行動も、叩くよりは前向きな行動です。
感情に動かされるのではなく、冷静に調べてからにしましょうね。
前向きな活動をする
また、ショッキングな出来事を防止するための団体に協力するといった行動も有効です。
さっきの例でお話すると、虐待を防止する、被虐待児を支援するための団体が日本にいくつもあるはずです。
少額の寄付など小さなことでも役に立つことがあります。
このように、スルーしたり自分を顧みるだけではなく、より積極的で前向きな活動も選択肢の1つとしても良いのではないかと思います。
それでは、以上、私の主張でした。
最も言いたかったことは、どんな人に対してでも、人を傷つけてはいけないということと、叩くよりも自分にできることを考えた方が有益だということの2点です。
最後に、「叩く」という行為も別に犯罪というわけではありませんから、人の勝手ではあります。
けれども、そこから何も生まず、むしろ人を傷つけ、不快にさせるだけ、という考え方があることは知っておいてくだされば嬉しいです。
長くなってしまいましたし、言いたいことを熱く語ってしまったので、分かりにくいところがあったかと思いますが、ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。