自信を高めるための努力に意味はない!努力の目的を考える
こんにちは!心理学を学んでいるあみかです。
今までこのブログで自信に関する記事をたくさん書いてきました。
本日は、いつもより緩く書こうと思います。
もしかしたら過去に似たようなことを書いたかもしれません。
しかし、全く同じではないと思うので、つらつらと書いていこうと思います。
自信を高めるための努力
自信を高めるための方法には、ひたすら努力して結果を出す、といったものがよく言われます。
勉強に打ち込む、部活に打ち込む、仕事に打ち込む、趣味に打ち込むなどなど…。
また、1つ強みを持とう、長所を伸ばそう、というのもよく言われます。
能力的なものから性格的なものまで。
パソコン、特にExcelを極めて、それだけはだれよりも自信を持てるようにする。
誰とでも話せるコミュニケーション能力が取り柄だから、それをもっと高める、または活かしやすくする。
このように、自信を高めるための努力というものがあります。
ちなみにこの方法で高める自信、つまり自尊感情は、基本的自尊感情ではなく社会的自尊感情に当たります。
(参考:「基本的自尊感情」と「社会的自尊感情」を分かりやすく! - ぽっかぽか)
基本的自尊感情と社会的自尊感情はどちらも欠けてはならない重要なものですが、意識はしておくと良いと思います。
自信を高めるための努力に意味はない
自分に自信がない、自信を高めようと思ってこのような自信を高めるための努力や活動をするとします。
私もしたことがあります。
大学1年のときに長期インターンシップに参加した目的の1つは、自信を高めることでした。
ところが、この自信を高めるための努力。
自信を高めることに焦点が当たっていると、上手くいかないことが多いようです。
自信を高めるために、成長するためにという思いが強いと、成果が出なかったり、から回ったり、焦ったりします。
私自身の経験でも感じました。
そして、いくら自信を高めるためといっても、四六時中それについて考えているわけではありません。
自信を高めることから意識の焦点がずれて、活動内容自体に熱中することはしばしばあるはずです。
そんなときは、自信について考えているときよりも随分上手くいきます。
活動だけではありません。
自信を高めるために強みを鍛えようとするときも同じです。
自分に自信を持てるように本を読む。勉強する。運動する。
そういったときも、「自信を持つため」という意識が強いと上手くいかないようです。
こんなことをしても意味があるのかと不安に思ったり、焦燥感ばかりが溢れます。
ようは、その内容以外のところに意識が向いているのが問題なのです。
読書、勉強、運動自体の楽しさに目覚めたら、その取り組みが続きやすくなりますし、そういった経験が自信につながることもあるでしょう。
このように、目的が「自信を高めること」になってしまうと、上手くいかないのです。
それ自体に熱中したり、楽しんだりする方が上手くいくようです。
似たような例として、人に好かれるための努力というのは中々上手くいかないものです。
人に好かれるために相手を褒めたり、身だしなみに気を遣うというのは、空回りすることが多いようです。
本心で思ってなさそうな褒め言葉というのは伝わるものですよね。
また、好かれるために身だしなみに気を遣うというのは一時的でしょうし、ありのままの状態ではないので、見抜かれてしまいます。
以上、努力の目的が活動そのもの以外のものになると、上手くいかないことが多いというお話でした。