【自身の高め方⑥】自信は「人に優しく」から作られる
こんにちは!あみかです。
本日は、自信、特に、根拠のない自信と呼ばれる種類の自信の高め方についてお話します。
大学生の私がちょっと語ります。
自信は、他人に対する優しい気持ちから生まれる、
いや、他人に対する優しい気持ちと通じるというお話です。
人が人に優しい社会
以前、人が人に優しい社会のお話をしました。
人が人を批判したり、
人が人を非難したり、
人が人に悪意を向けることがなく、
互いに、人が人を応援する、暖かい社会。
人が人に優しい社会。
私の理想とする社会です。
理想は理想ですが、そんな人が一人でも増えたら、生きやすくなる人がきっと増えます。
「人に優しい気持ち」はどこから
「人に優しい」気持ち、嫌なところやできないことがある人に対しても「優しい」気持ちがあるとしたら、それはどこから作られるのでしょうか。
「誰もが様々な事情の中で、その人なりに、生きてきて、その結果今に至る」
このように考えられたら、誰に対しても優しい気持ちが生まれるのだと思います。
それに加えて、
「人は、嫌なところがあるからこそ良いところがあり、良いところがあるからこそ嫌なところがある」
このように考えられたら、嫌なところは嫌なところではなくなり、その人全体を見て、これがその人なんだと受け入れられると思うのです。
もう少し、詳しくお話します。
まず1つ目。
「誰もが様々な事情の中で、その人なりに、生きてきて、その結果今に至る」
ケチで一緒に遊びに行く時にはちょっとでも安く済ませようとする友達は、
親が徹底した倹約家で、ちょっとでも高いものを買うと怒られて育ったのかもしれない。
お金がなくて生活に困っているのかもしれない。
いつも兄弟に自分のものを取られて育って、自分のものを死守しようとする考えが染みついているのかもしれない。
実際に事情を知っていることもあれば、知らないこともあります。
むしろ知らないからこそ、私の知らないなにかその人なりの事情があるのだろうと思えるのではないでしょうか。
それから、人が感じる痛みは人それぞれだということに注意しなければなりません。
同じ経験をしても、人によってはトラウマとなり、人によっては問題なく乗り越えられることがあります。
その違いの原因は、それこそ生まれてこの方の「様々な事情」から生じているかもしれませんし、楽観性の違いによるものかもしれませんし、その時に助けてくれる人がいるかどうかかもしれません。
だから、そのくらいのことで…と思うのは間違いです。
人それぞれなのですから。
2つ目。
「人は、嫌なところがあるからこそ良いところがあり、良いところがあるからこそ嫌なところがある」
先ほどのケチな友達。
ケチな部分があるからこそ、
一緒に買い物に行っても浪費しなくて済む。
日頃ケチでお金の計算をしっかりしている人だからこそ、
飲み会の会計の集計を任せられる。
徹底主義で半端なことをすると怒る上司は、
徹底主義だからこそ、
素晴らしい成果をもたらす。
他人にもそれを求めるからこそ、
自分の仕事には絶対に手を抜かない姿勢が生まれているのだろう。
だから、あの人はあの人でいい。
あの人の「徹底主義で半端なことをすると怒る」部分は、あの人の人としての魅力だ。
良いところと悪いところは表裏一体。
その人の悪いところや嫌なところがなかったとしたら、
その人の良いところもなくなってしまいます。
それが自分に合うとか合わないとか、
それが嫌だと感じているかはともかく、
悪いところも含めて、トータルでその人だと理解できたら、どんな人にも少しずつ「優しく」なれるのではないでしょうか。
もちろん、嫌なところを我慢しろと言いたいわけではありません。
「私は遊びに行くときはもう少しお金を気にせずに遊びたい」
「指摘してくれるのは助かるけれど、もう少し柔らかな表現でしてほしい」
と、お願いしても良いです。
そのときに気を付けることは、アサーティブな主張の仕方だと思いますが、「アサーション」については、初めて聞く方は調べてみてください。
言いたいのは、理解できるかできないかと、行動が嫌だと思うかどうかは別だということです。
「やたらめったら怒られるのは嫌だけど、あの徹底主義はあの人の良いところだよなぁ」
と、思えることもあります。
ちなみにこれは、私のバイト先の社員さんの話です(笑)
(ケチな友達は別にいません)
この2つの考え方で、もし嫌な人がいても、「優しく」までいかなくても、「嫌い」から「いろいろあるんだな」くらいには変わるのではないでしょうか。
そして、一度でそのように変わらなくても、時間の経過とともに何度かそのように考えてみたら、少しずつ受け入れられることがあります。
そうしたら、「この人はこの人なりに頑張って生きているんだ」というのが見えてくるのです。
その感覚から、「人に優しい」気持ちは生まれるのだと思います。
「人に優しい」気持ちを「自分に優しい」気持ちに
さて、この記事は、自信の高め方のお話でした。
自信、自分には存在価値がある、という感覚は、人として最も重要なものです。
自信がないのは、辛いことです。
2つの考え方を当てはめて人に優しくできたとき、次に自分にも当てはめてみませんか。
私は、人に中々話しかけられないところが嫌いです。
1つ目の考え方、「誰もが様々な事情の中で、その人なりに、生きてきて、その結果今に至る」を当てはめてみます。
自分のことなので、「~かもしれない」ではなく、ほとんど確信です。
まず、「話しかけたら変に思われて嫌われるかもしれない」という思いが一番の原因です。
「話しかけたら変に思われて嫌われるかもしれない」と思うのは、
(実際に話しかけて変に思われたと言うよりも)人間関係でいつのまにか失敗することが多かったから、コミュニケーションに自信がないためです。
いつのまにか失敗することが多かったのは、発達障害によります。
つまり、障害によるものなので、先天性と言えます。
次に、2つの考え方「人は、嫌なところがあるからこそ良いところがあり、良いところがあるからこそ嫌なところがある」を当てはめてみます。
人に中々話しかけられない部分。
それがあるからこそ、仲良くなった人との少数での人間関係を楽しめる、大切にできるのかもしれません。
こちらは自分のことだからこそ、言い切ることができずに「かもしれない」という表現になってしまいました。
私の社交性が高かったら、すぐに大きな輪にしてしまって、少人数や1対1でのコミュニケーションをないがしろにすることがあるのかもしれません。
人に中々話しかけられない部分は嫌いですが、だからこそ、少人数でのコミュニケーションを楽しめるという長所に繋がっているのだと、思っておきます。
(今そう考えたばかりなので、まだ馴染んでいません)
そして、他人の嫌なところを我慢せずにお願いしていいのと同じように、
自分の嫌なところも、受け入れるところは受け入れて、改善してみたいと思ったところは改善しようとしてみたらいいのだと思います。
こうやって、人に対しても、自分に対しても、「優しい」気持ちを持てたら、それが「自信」と呼べるほどのものかどうかは分からなくても、なんとなく「こんな自分でも良いかな」と思えるようになるのではないでしょうか。
人が人に優しい社会と皆が自分に自信を持っている社会があるとしたら、それは繋がっているのだろうなと思ったのでした。
ぜひ人や自分に優しくなってみてください。